なんだかんだ言って以前より精神は安定しているとおもっていたのだけど、一度崩れると転がり落ちるのが留まるところを知らなく、ああ今までは転がり落ちるのをどこかで止めてくれるなにかが、それはライブだったかもしれないしフォロワーと会うことだったかもしれないし、とにかくそういうなにかが、あって、今はそれが見当たらないみたいで、そうですね、こまりました。自分が何にかなしんでいるのか、何につらくなっているのか、わからない、ただ夜になると涙が出て止まらなくて、何がすり減っているのかもわからないまま枕に水分を奪われてなんだか頭も、痛いし

いつもみたいに慰めてほしいと言えばよかったかもしれないことが、それすら誰からも見て見ぬフリをされることが怖いような、丁寧に肯定されたくて、でもわたしにそんな時間を割いてもらうようなことは、今更、今更今更今更にいけないことな気がして、

アカウントを消すこととか、そんなのだって気付いてほしくて心配されたくてやるんだ、わたしはいつも……そうで、気付いてほしくて、よく見ていてほしくて、心配して、慰められたい、毎日変わらない愛がないと不安だ、甘さを教えられて、甘さに甘えて、甘さに飢えている。

暑さのせいだとか、気圧のせいだとか、夏の終わりのせいだとか、生理中だからとか、そんな理由で追いやりたくないときだってあるみたいで、どこにもやれないきもちに、自分ひとり勝手に傷ついている、みたい。

odしたかったけど薬がなくて、ピアスをあけたかったけど今は増やせるところがなくて、腕を切ろうとしてカッターの刃で皮膚を引っ掻くところまで、きもちわるくなって、お昼ごはんをトイレに流して、ぜんぜん消化されていないナポリタンの味にちょっとウケた。


わたしの…他人と関わることのヘタクソさといったらない、もはやヘタクソなのかどうかもわからなくて、でもどうにもうまくできた試しがないような気がして、あの人はわたしのこういうところが嫌いだろう、この人はわたしのこういうところが嫌いだろう、とか、で、どんどん話せなくなる、わたしと話していておもしろいことなんてないんだろう、そういう自虐がまたわたしをつまらなくする、こんな、こんな、こんな人間とだれが、こんな人間を誰が、

わたしはいつも人を傷つけたくなく、嫌われたくなく、そればかりで、きっとそのせいでヘタクソになって、なら傷つけてでも言えばいいとか、嫌われてでも言えばいいとか、そんなことないハズなのに、じゃあなんで?わたしの奥底にはきっと、他人を傷つけて他人に嫌われるようなものしかないのだ、だから隠さなきゃいけない、のか、ああ、ズルズル落ちる、胃液で焼けた喉が渇く。


自分だけが自分のこと好きでそれがなんだ、そんなのでは救われなくて、承認欲求に狂わされた愚かなインターネットに生きて、わたしも結局のところ

好きだとか嫌いだとかそんな面倒な感情を持ってもらえるほど他人に興味を持たれているとでも思っているのか、わかってる、思っているほどみんな他人に興味なんてない、わかってる、わかってる、わかってないよ、おめでたい頭だ、ね?

 

ほんとはこんなことするべきじゃない、自分の機嫌で人に気を遣わせるなんてことするべきじゃない、わたしなんて、わたしなんていう、人間にも満たないわたしは  黙って1人で泣いていればいいのだ、ごめんなさい

 

 

 

 

百均のシャボン玉買ったので部屋のなかで遊んでたらおこられた。

わん

いぬ、だいぶおおきくなって最近はおとなしくもなってきてわんわん。や、あついから夏バテしてるだけかな?わたしも……

 

 


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年齢的に言うオトナ、になるまでにしきりに与えられることば、呪いのようにも…感じなくない、ですね?褒めるつもりでかけられた言葉が人間を縛らないとは限らない、ことばというのはかたち重さ質量を持つもので、そうですね、そうしなければという意識、そこから外れる不安、みたいな、悪意のない呪い縛りは気づくことも許されないような空気感、かな〜。


元のそれが絶対的に正しいと思うなら戻るための努力意識はステキなことですけれど、べつにね、奔放になってゆくことがわるいことばかりだとはとてもおもえませんおもいません。それは今まで閉じ込められていた自意識かもしれないし、ほんとうはずっとそういうものだったのかもしれないし、ぜんぶぜんぶ否定してあげることも、そんな必要はきっとないでございますよ。


周りのひとを大事にすることはそれはもう大事なコトで、でもそうしたいという意識があるならそれは少しずつでもそうなってゆくハズで、同じく自分のことも、言われてきたことばのままにすることなんかなく、他人からの期待への罪悪感なんて…ほんとは感じなくていいようなものデショ、わかってても感じてしまうものですけれどなにごともわかっているのとわかっていないのとではまたちがう、ね。


わたしもずっとおべんきょうができていい子で従順だった過去、いつの間にか楽に楽に楽になりたく生きてきてしまってこんなカンジ、悪いことだとはおもっていないなぜんぜん。


目指すものがあるのであれば、そこに届くのに今の自分に嫌気が差しているのであればそれはともかく、そうでなくただオトナたちに褒められていたそれから外れてしまったことを悪いとおもっているなら、それは大して気に病むようなことではないと…わたしはね、おもいますけどねっ。

 

溶かされてゆく解かれてゆく感覚、わたしも好きな人間たちにずっと与えられてきたので……同じものをだれかに感じてもらえていること、とてもうれしい、ありがとねっ。そんなうれしさを与えてくれただけでわたしの中ではじゅうにぶんに120%でステキなひとだという位置付けです、笑顔でわたしの髪色をキレイだねと言ってくれた女性と同じです、そういう感情を与えられるのは魅力的で大事なところだよほんとうに。


だいじょぶ、いろいろ案外わるいようにはならない、言霊に縛られてきたなら新しく上書きすればよいコトです、わたしが仮に、仮にね、しておいちゃおうかなっ、あなたはだいじょうぶです。

 

強くなくてもやさしいひとがだいすきですわたしは。やさしく生きてね自分にも

あついね

日光しぬほど似合わないねと言われるオンナ、わかります、わかりすぎるので早く夏を終える方法でもいっしょに考えてよね…。

 


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なにもしていないってなんでだろ、必死に生きている“だけ”なんてことはぜったいになく、生きることをしているのはとっても大事で、ステキなことです。例えば尊敬する人が働いている人はえらいねと言って自分は働いてないからえらくないんだとおもってしまうタイプなら、それはまったく間違いで、だれかを褒めるときそうでないだれかを貶すようなきもちでいるひとなんて人間ではありません。


おかしくないよって言ってほしいとおもうし、弱くていいよって言ってほしいとおもうし、さみしいのかどうかまではわかんないですけれど、それよりきっとだれかに肯定してほしいきもちを…わたしは感じたので、そのだれかがわたしでいいのならそうしましょう、なにもおかしくなんてないし、強く生きようとすることはとてもかっこいいし、簡単に恋人という役割を人に与えて隙間を埋めようとしないことはなんと言うか、それもまたあなたのステキなところです。役割で人を好きになるなんていうのは悪いことでなくともあまり良いことだとは思えません、わたしの個人的なそれとしてはね。


ただなにもないのに涙が出るのはどこか擦り切れつつある証明かもしれないから擦り切れてなくなってしまう前に、それは助けを求められるならそうするべき、かもね。助けというのがどういうものを指すのか…わかりませんけれど、話を聞くだけでいいならわたしにもできるし、まあなにか直接的な手助けが必要なら周りの人以外にどうにかできるものではないケド……少しずつ少しずつ吐き出して楽になる方法もあるかもしれません、溜め込んで一気に爆発させてしまうのは自分もつらいし救える人間も限られてきてしまうような気が、しますね。


人間をやっていくことはむずかしいし、世間の通常というのは世間の普通というのは、通常や普通ということばを使うにはレベルの高いことを求めすぎていて、そんなものに付き合って殺されてゆくなんてとんでもないな。人間をやるのがむずかしいことだと気づけない人間だってたくさんいて、気づけることはやさしさになります、それは魅力です。

 

生きていてえらいなんて最近使われすぎていて軽いことばになってしまったね、もったいないような、ステキなことのような、どうでしょう、でも今だけは軽くなく薄くなく重力を乗せて質量を持って言霊らしく、生きていてとてもとてもえらいよ、ステキです、無理はしすぎないように死なずに生きましょう。

 


最近らだー脳内ボイス敬体流行り気味なのでそんなカンジでございましたです。いかがでございますか?うさんくさいのでやめようとおもいます。テキトーに答えてはいけないとおもったのでちゃんと時間取れるまで放置してしまい…おへんじ大変おそくなってゴメンなの…。ゆるりとしあわせがおとずれますようにいのっています。ゆるり

 

労働って

たいへんですねマジ労働者全員スゲーもっと尊敬されるべきだよマジマジマジ

 

 

 


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まったく顔がかわいいっていうのはほんとうに、憎んでも憎みきれないところがまた、憎くなってしまうね。まあ好きなひとが顔だけ見て判断するような人間かというところ、そうじゃないならそれは……かわいい子というのは概ね性格も良いんだね困ったことに、まったく、まったくですね、そうしてイヤになっては自分のこともなんとなくイヤになって、恋愛なんてロクなもんじゃないというイメージばかりだよ。

そも愛し合うなんてほんとに、ほんとに?とおもってしまうな妥協じゃなくそんなことって有り得るのかな、恋愛って奇跡的でしょうがないような気がしてならない、ね。自分のこと大事に愛してくれるひとは存在するかもしれないけれど、でもきっと大抵自分が愛してやまないひととはちがっていて、愛して愛されてってマジな話存在するのかな、妥協でやってんの?みんなさ、どーなの、好きって言われると好きな気持ちがしてきてしまうものなの、言われたことがないからわかりませんね。


なんにしたってその人しかいないなんてことは……今は考えられないとおもうけど、そしてそんなこと言われたくはないというのはとてもわかるのだけど、こういうこと前にもブログに書いた気がするけれど、でもね、その人しかいないなんてことはなく、傷はゆっくり時間と共に消えるか古傷になってゆくものだと、おもいます。

忘れちゃえなんて言うの簡単だけどね、恋愛に傷ついて泣き明かす夜がある人生はきっとステキなものだし、その人のこと想っていたこと、かわいい子への恨めしさ、思い出してなんとも言えないきもちになることだって、生傷も古傷もファッションにして生きてカワイイよっ。

ぜんぶカワイイにして身にまとってしまってそれでよしとしてみるのもいいかもねなのね。かわいさの一部になってもらいながらね、ゆっくり傷ついてゆっくり回復しましょう。


わたしたちってけっこー物分りのよくてかしこいカワイイステキなオンナなのにつかまえられないなんてもったいないな、残念だね、おまえたち。

くるまのうんてん

 

センスあるワケがない。免許もっている人間みんなわたしでもぼくでも取れたんだから!て言うケド恐らくみんな自分のことを最下層だとおもっているし、そしてわたしもそう。

 

 

 

 

 

わたしに届くマシュマロとか、べつにうるせーな知らねーよって言ってもよさそなことあるなーて思うんだねたまに、なんでわたしに聞くんだろ?てこと…まあまああって(もちろんだれかを傷つけたい意図はないし、何度か言っていると思いますけど吐き出し口にすることは一切合切構いませんほんとうに)、でもねらだーはそんなことは言わないでしょ思わないでしょ?そう思ってるでしょみんなね、わたしもらだーならこうするなということをしていて、いつも本心とは限らない、かもしれません。かといって本心ではうるせー知らねーって思ってるのかと言われたらそれもまた違うけど、うーん本心なんてないようなもので、そうね、感情薄いので、こういう場面ではこういう感情を抱くべきだろうという意識、そこから来るらだーはこう言うだろうという客観のようなもの、自分のこと少しでもマシに上等に見せたいそんなきもち。


言語化むずかしいけど、わたしは求められたことにはなるべくこたえようとしているし、でもそれによってわたしがムリをするのとかわたしが変わってしまうのはいけないというか、無意識に食い荒らされたいワケではない、それは誰かになにか求めることではなくて…結局のところわたしがわたしでわたしを守るしかないことで、こう、わざわざ言うことでもなく。

ただわたしはある程度自覚して切り離すことができる(と思っている)けど、でもね、それをできない心優しい人に同じことをやって壊してほしいとは思わなくて、そう、肯定的なことばだからといって人を壊さないとは限らないと、おもいます。傷つけて壊すのはわかりやすいけどゆっくりゆっくり歪ませて壊すのはわかりにくい、壊すというのは言い方が悪いかもしれないけれど、双方自覚できないままに終焉してゆくことが、昨今のインターネットではままあるような気がしますね。


例えば何してもいいよえらいねと言って褒めてくれて、少しばかり留守にすると心配の声をあげてくれて、そう、それはとても光栄で、うれしいことだし、ただそう思わなければいけないような気もするような、当事者間はともかくとして、第三者から見たとききっと歪に…よもや気味が悪いようにすら見えてしまうかも、しれないね。うゆ、どうなのでしょう、わたしは否定することはできません、時にはそれらによって救われることがあるのも確かなことで、本当に大切にしたいとおもっている、一瞬だって傷つけたくはないし、期待(のようなもの)を裏切るのは忍びないと、でも、でも、ふらっと消えたくなってしまう瞬間があるのも、ウソではない。


わたしはただそこに生きているだけで、積極的に自分をインターネットで売り出そうだとか、応援してくれる人間を集めようだとか、有名になってやろうだとか、そういう志はなにもないワケで、一般人も良いところなワケで、わたしのなにに、どこに、他人を惹き付けるようなものがあるのか、全くにもってわからない、ん、だよね。

肯定されることで自分が歪んでいくような感覚というのはほんとにきもちがわるくて、なんでしょうね、これは、だって悪意なんてどこにもないハズで、わたしだってこんな風に考えすぎない人間なら、素直に受け取れる人間なら、よかったのかなとおもったり。らだーって何者なんでしょう、少なくともわたしは何者かになりたいとは思っていないし、まあ“そういう振る舞い”がゼロとは言えないけれど…

や、わかるんだよ、好きな人間になんでも聞きたいというのも、ぜんぶ肯定したいというのも、わかりすぎるほどにわかるんだけど、わからないのはその“好きな人間”にわたしが当てはまるということで、ふしぎでしかたない、イヤなワケないけど、ふしぎで、混乱するようなきもちになるなのね。


ごちゃごちゃしたはなしをしたらごちゃごちゃしましたケド。つまるところ、わたしは自発的なこと以外でだれかに変えられたくはないけれど、好意を無碍にすることも決してしたくはないという、葛藤、的な、ほにゃらら。

んむ、これを読んだだれかに猜疑心や罪悪感を抱かせたりしたくはないし、謝らせたりしたくはないし、もいちど言いますがこれはわたしがうまくやればよいことで、警告や啓発ではありません。わたしはわたしでわたしなりになるべくじょうずに生きますからごしんぱいなく、きもちの整理に付き合わせただけですごめんねっ。なにも考えず忘れて寝てくださいわたしもおひるねのじかんでちゅわ

ポエム

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好きな人間がこんな自分は嫌いだろうと問うてきたときどんなあなたも好きですなんて答えるのはあまりに王道にスタンダードすぎますけれど、例えば根本からすっかり変わってしまったところでそれでももちろん好きに決まっていますそんなことでは嫌いになりません変化など些細なことです

どこが好きかなんてくだらないことを聞かないでください嫌いなところも好きに変換できるくらいに愛していますいつだって

わたしの愛し方はそういうものです

そこには裏切りなどありません期待のないところに裏切りは有り得ません
期待をしていないというのは無関心ではなく期待などする必要がないということです

そこにあるもの以上与えられる以上のものは要りませんそれは与えない選択をしたことをも愛するということです

この世で正しいのはそのひとの全てそれだけです疑うだなんて馬鹿げたことです
ヘタクソにバレバレな嘘も、そのひとからわたしにそう伝えられたならそのひととわたしの間では真実でよいのです


簡単なことです

簡潔なことです

簡易なことです

簡素なことです

簡粗なことです

簡浄なことです

簡明なことです

ありふれた平凡な愛の話です

人間のせいかつ

 

を……していて……マジで……驚くことに……インターネットをおろそかにしているようなきもちになります(…?) 最近のマシュマロの返信とかヨユーなくてテキトーになっていたらごめんなのね。

 

 

 

 

 


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まずわたしは当事者ではないし蛙化現象の経験も(恐らく)ないので、そういう人間のことばだとおもって聞いてねっ。


どうするとは言っても、それはわたしがそうなったときどうするか考えたらいいのかな?蛙化現象、ふしぎなことだね、そしてついなんて贅沢なことだともおもってしまいますね、わたしはなんていうか……どーにも追いかけるほうが好きみたいで、恋愛感情として明確な好意が返ってきたことはあまり(ウソです、一度も)ないからついついそう思っちゃうな、当事者からすれば羨ましがられることはきっと不本意で無遠慮で配慮を欠かれた不快なきもちでしょう、ごめんね。

でもそのくらい当事者になってみないとわからない、理屈や感情の出どころはなんとなく予想できても本質的なところはわからない感覚(もちろんなんだってそうですけれど)…であるとおもうし、最近こんなことばかり言ってしまうけど、わたしにどうこう言えることは正直なところなにもないなのね、感情と向き合って解像度高めてどう処理するかは本人以外にはどうにもできないことで…想像でアレコレ語るのは失礼な気が、して、まあそれはわたしが散々やってきたことなのかな、うゆ、最近うまく脳みそがとろけてゆかなくていけません。

 

それでも想像論で語ってみると、わたしはそんなに深く考えて生きてはいないからそうなってしまったときはきっとそうかそうかまあいっかってゆっくり離れていこうとするのかなと思う……な……ちょっと距離を置いて離れて見てみるとわかることはたくさんあるし、そう、教習所でそれはもう毎秒散々言われることなのだけど近くを見すぎることはよくないんだってね、大変一般的なことを言ってみましたケド、一般的であるということはまあそこそこにそういうことなのだと、おもいます。


時間の経過でなんとかならないことはそんなに多くなくて、特に感情の問題は。今すぐ解決する裏ワザがあるならインターネットのどこかに書いてあるよたぶん。

離れてみてそのまま冷めてゆくかもしれないし、もしくはまた好きになって近づいてみようと思うかもしれないし、そしたらまた向こうから好意を向けられてそれがイヤになって離れるのを繰り返すかもしれないし、まあ、まあまあまあ、それはそれでそれなりにそうかもしれないし。


つらくなって泣いて落ち込んでめちゃくちゃになることがイヤじゃなければ、一晩二晩向き合って掘り下げて感情の出どころや理由を探ってみるのもいいかもしれません、だれに見せなくても文章に書き出してみてもいいかもしれません、それをするときはだれに見せるワケでもないんだからごくごく素直に自分の悪いとこ汚いとこ認めたくないとこもちゃんと考えてみることがいいかもしれません、しれませんしれませんね、深い自己嫌悪に陥っても最悪の手段を取らない自信や理性があればのハナシです。

 


アレいつも最後どうやってまとめてたのかな忘れちゃったな。オワリ。急。常にしあわせにでなくても半分よりちょっとだけニコニコ過ごせるように、できることなら欲張ってもうちょっとだけハッピーに生きてゆけるように、願っています、わたしもあなたも全人類。新興宗教勧誘的文句。にゃん