わたしのブログ読みづらくない?

ブログ初心者、上手な改行の仕方、ワカラン。

ところで朗報ですが、電気代を払いました。結局電気止まらなかった。えらいからポテチ買った。電気止められるギリギリまで支払いを引き伸ばしてる時点でなにもえらくない。そういうとこ。


わたしの中の推しという存在について。そんなこと言うとそもそも推しとゎ……ということからになってくるけど、結局そのへんは個人の裁量、なのでわたしの裁量のはなし。

まず、わたしは好きな人間を信仰するきらいがあります。全肯定、全信頼。
というか、そういう風になれる人を好きになりがち。神様みたいな人を好きになりがち。安定感があって、好きでいて不安にならない人が好き。1人の人間として確立され、完成されている人が好き。思考を全部任せて、この人がこう言っているからそうなんだろうなと思いたい。そういう人を推しと呼びたくなる。
盲目な信者でいい。信仰と言って差し支えない、ただ好きだと言うにはちょっと重い感情を、推しと言い換えているような状態、というような気がしますね。
そうなの?知らんけど。

タラチオさんに対する感情はそうじゃないなって思うワケ。全肯定とかしたくない。盲目になったらダメなタイプの人だなって思っている、なんとなく。
単純に推せるなーと、そうとしか表現できない気持ちになる瞬間ももちろんたくさんあるし、でも推しって呼称していいのかと言われるとちょっと違って、まあこんなのは本当にわたしの内部の勝手で些細な取り決めのようなもので、わたし以外にはマジでどうでもいいこと。別に、そう呼んだほうが都合がいいときは推しって言うし。

牛沢さんに関しては、完全にわたしの中の推しという言葉そのものだと思っています。全肯定、全信頼、信仰。頭から爪先までの好き。例え彼が人を殺したって、わたしの中の評価が下がることはきっとない。だから何?だってわたしの推しはいついかなる時にあっても正しいので。

好きな人、応援している人、まとめて推しって都合のいい一言で片付けるのは簡単だけど、そこに何人も並べると困っちゃうというか、そうじゃない。1番好き、を横並べにしたくないの、だから推しという言葉を使います。


文章書くの飽きた。

飽きたし、ここまで全部意味わからんくない?わたしもわかってない。てかマジでキモイ。
最初は言いたいことがあって書き始めたはずのそれが、途中からただなんかそれっぽい文章を書くのが気持ちよくなってるヤツ、自我の強いオタク、やりがち。

オタクは深夜に長文を書くべきではないし、ましてやその長文をインターネットなどに公開するなんてそんな……


でも深夜がいちばんげんき。いや深夜てかもう早朝だょ、おやすみ。