健康

9時くらいに朝日で目が覚め、朝ごはんを食べ、少し外を散歩して、昼ごはんを食べ、15時くらいには弟に紅茶を入れてもらい、夜ごはんを食べ、入浴剤入りのお風呂に入り、日付が変わるころには眠くなって寝る……はて……

栄養バランスの整った食事ができる生活。健康。人権。

 


地元、ド田舎、最寄り駅まで徒歩1時間、徒歩圏内にあるお店、郵便局、ガソリンスタンド、自販機(お店とは……)。10分ほど歩いても1人の人間ともすれ違わないような、そういうところ。

わたしはべつに生まれ育ったこのド田舎が心の底から嫌いだとかそんなワケじゃないのだけど、でもなんだか、最近この場所がこわい。

なんて言えばいいのか、この田舎に漂う薄暗さ、閉塞感、どこにも行けなさ、諦念に満ちた空気、全てがゆっくりと終わりに向かっている感じ、めちゃくちゃこわい。ここに住む人々、ここにある物事、全部が抗うことなくまっすぐに死へと向かっているような気がしてならなくて、そして誰もそれに気づけない、気づこうとしないのではなくて気づけない……誰も自分たちがそうだとは知らない、みんなが薄暗く色彩を欠いた現実だけを見ていて、もちろんその暗さにも色の無さにも気づかず当たり前だと思っている。

こわい、こわくて、そしてこのこわさはなくしてはいけないような気がするから、どうにか言葉にして消えないように繋ぎ止めておこうと思う。この気持ちが消えたとき、きっとらだーという人格も一緒に消えて、この土地に呑まれてゆっくり死にゆくものたちの一部になる。


狭く閉鎖された世界というのは気づかなければ居心地が良いものだけれど、その違和感に歪さに気づいてしまえるのは幸か不幸かといったところ。

気づいてしまった以上、自我が死ぬ前に逃げ出さければいけないとわたしは思ってしまって、ここで一生を終える人間たちには悪いけれど、わたしはこの場所といっしょに死んでやるワケにはいかないし、誰が最初に謳ったのか死は救済という思想に賛同しても、死に方と死に場所は選ばなければいけない。

 


例えば朝玄関の飾りガラスから差し込む光が美しくて、例えば街灯のない道の澄んだ星空があって、例えば母の作ったシチューが泣けるくらいにおいしくて、例えば弟が豆を挽いて淹れたコーヒーの匂いが家中に満ちて、しあわせなことがたくさんあっても、このしあわせに脳みそを麻痺させられてゆくのは危ないと思うのだ。

欲しいもの、強さ。


あとお金かな。