くるまのうんてん

 

センスあるワケがない。免許もっている人間みんなわたしでもぼくでも取れたんだから!て言うケド恐らくみんな自分のことを最下層だとおもっているし、そしてわたしもそう。

 

 

 

 

 

わたしに届くマシュマロとか、べつにうるせーな知らねーよって言ってもよさそなことあるなーて思うんだねたまに、なんでわたしに聞くんだろ?てこと…まあまああって(もちろんだれかを傷つけたい意図はないし、何度か言っていると思いますけど吐き出し口にすることは一切合切構いませんほんとうに)、でもねらだーはそんなことは言わないでしょ思わないでしょ?そう思ってるでしょみんなね、わたしもらだーならこうするなということをしていて、いつも本心とは限らない、かもしれません。かといって本心ではうるせー知らねーって思ってるのかと言われたらそれもまた違うけど、うーん本心なんてないようなもので、そうね、感情薄いので、こういう場面ではこういう感情を抱くべきだろうという意識、そこから来るらだーはこう言うだろうという客観のようなもの、自分のこと少しでもマシに上等に見せたいそんなきもち。


言語化むずかしいけど、わたしは求められたことにはなるべくこたえようとしているし、でもそれによってわたしがムリをするのとかわたしが変わってしまうのはいけないというか、無意識に食い荒らされたいワケではない、それは誰かになにか求めることではなくて…結局のところわたしがわたしでわたしを守るしかないことで、こう、わざわざ言うことでもなく。

ただわたしはある程度自覚して切り離すことができる(と思っている)けど、でもね、それをできない心優しい人に同じことをやって壊してほしいとは思わなくて、そう、肯定的なことばだからといって人を壊さないとは限らないと、おもいます。傷つけて壊すのはわかりやすいけどゆっくりゆっくり歪ませて壊すのはわかりにくい、壊すというのは言い方が悪いかもしれないけれど、双方自覚できないままに終焉してゆくことが、昨今のインターネットではままあるような気がしますね。


例えば何してもいいよえらいねと言って褒めてくれて、少しばかり留守にすると心配の声をあげてくれて、そう、それはとても光栄で、うれしいことだし、ただそう思わなければいけないような気もするような、当事者間はともかくとして、第三者から見たとききっと歪に…よもや気味が悪いようにすら見えてしまうかも、しれないね。うゆ、どうなのでしょう、わたしは否定することはできません、時にはそれらによって救われることがあるのも確かなことで、本当に大切にしたいとおもっている、一瞬だって傷つけたくはないし、期待(のようなもの)を裏切るのは忍びないと、でも、でも、ふらっと消えたくなってしまう瞬間があるのも、ウソではない。


わたしはただそこに生きているだけで、積極的に自分をインターネットで売り出そうだとか、応援してくれる人間を集めようだとか、有名になってやろうだとか、そういう志はなにもないワケで、一般人も良いところなワケで、わたしのなにに、どこに、他人を惹き付けるようなものがあるのか、全くにもってわからない、ん、だよね。

肯定されることで自分が歪んでいくような感覚というのはほんとにきもちがわるくて、なんでしょうね、これは、だって悪意なんてどこにもないハズで、わたしだってこんな風に考えすぎない人間なら、素直に受け取れる人間なら、よかったのかなとおもったり。らだーって何者なんでしょう、少なくともわたしは何者かになりたいとは思っていないし、まあ“そういう振る舞い”がゼロとは言えないけれど…

や、わかるんだよ、好きな人間になんでも聞きたいというのも、ぜんぶ肯定したいというのも、わかりすぎるほどにわかるんだけど、わからないのはその“好きな人間”にわたしが当てはまるということで、ふしぎでしかたない、イヤなワケないけど、ふしぎで、混乱するようなきもちになるなのね。


ごちゃごちゃしたはなしをしたらごちゃごちゃしましたケド。つまるところ、わたしは自発的なこと以外でだれかに変えられたくはないけれど、好意を無碍にすることも決してしたくはないという、葛藤、的な、ほにゃらら。

んむ、これを読んだだれかに猜疑心や罪悪感を抱かせたりしたくはないし、謝らせたりしたくはないし、もいちど言いますがこれはわたしがうまくやればよいことで、警告や啓発ではありません。わたしはわたしでわたしなりになるべくじょうずに生きますからごしんぱいなく、きもちの整理に付き合わせただけですごめんねっ。なにも考えず忘れて寝てくださいわたしもおひるねのじかんでちゅわ