タイトルとかない

意味のあるタイトルをつけられる人間はほんとうにスゴい才能があるいつもなにも思いつかずそのときの気持ちを書いているね……おなかぺこり

 

 

 

文章は載せないでほしいということなので、これはただ個人的な返信で私信なのですが、そしてお返事が遅くなったことは決して内容への煩わしさではなく、長い文章であるほど読むこと考えることにも時間がかかってしまい…ので、気に病むことはなにもないし謝る必要もわたしに対してはほんとうに欠片もありません。

狂ったとき人に話してぶちまけて吐き出したことを少し冷静になってから後悔して謝りたくなったことはわたしも、たくさんある、のでね、わかります、だいじょうぶ、わたしもそういうにんげんで…抑え込めない自分の衝動にどうしようもない恥ずかしさを抱えてしまうねいつも。そして、そうなってしまうときは通常ならためらうところを踏み切って送信ボタンを押してしまうときはだれかに縋りたくて仕方がないときだというのも、わかります。

 

まず、そう、そうね、死にたいという感情は確かに、正常なものではないなと、おもうんだよね、それはほんとうにどうしようもなくてどうしようもなくてどうしようもないことなのだけど、大多数の人間が言う“正常さ”を欠いている感情だとはおもう、特に今までそうでなかったのが急に、またはじわじわと、そうなっていったのであればそれは異常なのだと捉えてもよいことだとおもいます。死にたさが当たり前の人間だっているというのもわかりつつ、自分はどうなのかというところ、これは異常な感情なのだと自覚をしているほうが楽になることも、あるかなとわたしは…おもうね。

そしてそういう感情である以上、抱いたことのない人間には全く理解の追いつかないところにあるというのも……それはそうで、わかるワケがない、無意識に踏切と線路をじっと見つめるようなこと、インターネットで死に方を読み漁るようなこと、自分を傷つけたい感情も、自分のいない世界を想像して泣く夜も。知らないものは本能的にこわい、のかもしれませんね、うちのいぬも初めて見るものには大抵ワンワンワンワンです、更に人間はムダに思考するので、そう、そうですね。


学校なんていうのは通っているときは固定的にその世界しかなくなってしまうのがつらいところではあるけれど、狭い狭い閉じたコミュニティでしかなく、ただ、その狭さゆえに一度コミュニティから除外したものを元の場所に戻すことは……こんなこと言うべきではないかもしれないのだけど少なくともわたしは見たことがない、かも、な。たった一度つまずいただけのハズなのに、たった一度つまずいただけで標的にされるような、別に誰だっていいんだ、共通につつける話題作りに必死で、なんで自分がなんてなんであの子がなんて誰だっていいんだとしか言いようがない、人間は、ほんとうに愚かです。

わたしの友だちに東大現役合格の脳みその優れた男がいますけれど、人間の粗を探しては大事に大事に証拠を保存して同級生が集まったときに笑いものにするようなほんとにまあ最悪でしかたのない、でも彼は愛されていて、わたしも彼に嫌悪感を抱いた記憶はありません。つまるところいじめにも満たないようにしか見えなかった(これは彼の賢さゆえでまた最悪極まりないのですが)それらは、彼らにとっては盛り上がる話題の1つでしかなく、そこに特別、嫌いだから追い詰めてやろうだとか、故意に笑いものにしてやろうだとかそういう意思はない、のだね、これはわたしのいたそれなりに賢い人間の多い環境のハナシで、そういうところですらそうだったので、というハナシで、もっともっと最悪なところはたくさん、あるのだろうとおもいますが。

これが良いことか悪いことかはわかりませんが、これらの場合大抵は心の底から本気で嫌いだとかそんな大きな感情は動いていないし、その人の全てが悪いかと言われたら決してそんなことはなく、ただ一度だけ一歩踏み外したとか、ただ一度だけ一歩踏み間違えたとか、ほんとうにそれだけのことだったり、してしまうワケです。その人個人に問題があることって案外少なく、問題があるのは環境で、問題があるのは世界で、きっとあなた自身に大きな問題や特別悪いところなんていうのは無い、と、断言はもちろんわたしにはできませんが、決してあなたに悪いところがあるという事実に繋がるものではありません。


避けられたりというのが気にしすぎでなく事実なら、いつも蚊帳の外から見ていたわたしとしては、正直なところ基本的にだれのことも信用するべきではなくなっているのかも、しれません、今のところは。

わたしもあなたもきっとそうだと思うのだけれど、人間、一度マイナスな感情を抱いた人間への好感度が回復することってまあ、そうそうあるものだとは思えないというか、そんなことができる人間は人間が出来すぎているか恐ろしく記憶力が欠如しているか他人への興味がゼロなのか、それなりに時間が経っても一度苦手意識を持ってしまった人間に対してのそれは、そうそう、そうそうね、消えなかったりしてしまうものだと、いやわたしだけのことかもしれませんが、ですね。

それでもわたしの見てきた彼ら彼女らも、例えば部活内で、例えばクラスの違うグループで、例えば学校外で、それなりにそれなりを暮らしていたようにおもうので、クラスが全てだなんてとんでもない、だからその場所は諦めろなんてことも、とてもわたしには言えませんが、そこに世界の全てなんてないよ、ないです、ありません。

ただ、1人でも好意を向けてくれるひとがいたとしたらそれは疑わず(疑いたくなる気持ちをなんとか押さえ込んででも)大切にするべき、だとわたしはおもいますね。

 

1つ違う視点のおはなしをすると、例えばこの場合は先生にそういうことを言われたということですけど、そういうなにか、後ろめたさというか、その後のこと全て信用できなくなるようなきっかけ、きっとそういうことを言う人はそんな風に重たいことばだなんて思ってもみないのでしょうけれど、なんかね、そういうことって……ある、ずっとそのことばがチラつく呪いとも言っていいそれは、思考を滞らせて、不安と恐怖で人をころす。気にしすぎるからうまく話せなくなって、うまく話せないから離れてゆかれて、人の目線が気になり、自分のことばを話せなくなること、本来あったハズの滞りなく生きていたハズの自分を失うこと。全く全て気にしすぎているだけだという可能性のハナシね、これは。そういう可能性も、もちろん十二分にあるとおもいます、ヨ。

その呪いを払拭するのはむずかしいことなのだけど、肯定してくれる人がいればゆっくり忘れてゆけるとおもうのだけど、時間が解決してくれることだとは思いつつそんな気長さもむずかしかったり、一度ゆっくり休めれば、それこそ辞められるなら辞めてしまってもいい、大きな決断ではあっても学校を辞めたくらいで人生どうにかなるものでもないのはこの身をもって。

 

 

きっとこんな風に言うべきではなく、もしかしたらもっと甘く生ぬるいなぐさめがほしかったのかも、しれませんが、それでゆくゆく更に傷つくようなことはあってはならない、でも傷つけてしまっていたらごめんなのね、こんな謝罪はわたしの自己保身でエゴイズムですが、ほんとうはなにもかも解決してあたたかく息苦しくない世界に生きてゆけることがなによりに決まっています、後悔してしまうほどによく考えられることがとてもステキです、怒りより悲しさに変換できる優しさがとてもステキです、それをわかる人がそばにいてくれることを願います。

世界は案外広く、人間はたくさんいて、例えばわたしのような人間を好いてくれる奇特な人間もいるように、そう、そうです、絶望してやることなんてないからね、くだらなさに巻き込まれてやる必要もない、やさしい人が食いものにされるなんてことはいけません、やさしさは強さです、失うべきものではない。


なにも解決になっていないただ長いだけの文章を書いてしまい……いつもわたしは勝手に長々しゃべることしかできません、後悔しながら生きてゆくのは苦しくてあのときああすればああしなければということ、それはもう…たくさん、あるに決まっていて、そういうものは大抵時薬に尽きますが、何かに救いを求めるのも悪くはない、何かに依存するのだって悪くはない、他人はひとまずさておいて自分が楽になれる方法を考えましょう、それはわたしが提示できるものではない、ケド。

自分のこと世界の中心だと思いましょう、だって自分だし。これはFB777さんより。わたしもおはなしくらいならいつでも聞けるよ少なくとも1人ここに、あなたのこととまとまりのない文章を数日にわたって考えるわたしはいますのでね、誰かに話すのは大事なことですいつでもマシュマロやDMはあけておきます。