はちがつ

ワンマンチケ発と聞いて一瞬アカウントをふっかつさせてみたんだけどFF全員消滅しててウケた(ウケない)。微妙にかなしくなって再び消した……。ちゃんとただいましたいときのことが不安です。しぬのか。チケ発の日バイトなので協力を募ろうかなーとおもったワケですが。まあ遅出にしてもらおうかな。わたしを下手最前に入れてくれ……欲望タダ漏れ侍。くまきちろうくん……

 

 

ツイッターがないといろいろ考える時間が増えますネ。考えついでに文章にでもしておくといいかもしれないとおもうなど。ゆえのぶろぐ。

ずっと思うことは、わたしは冷たい人間かもしれないなということ。なんというか、できればそうしたくはないし、そのためにツイッターもお休みしているワケだけど、でもたぶん、そうしたほうがいいと思えばらだーという人格とそこで作った関係を全て切り捨てることがわりと簡単にできてしまう。それまでの思い出とか情とか一切関係なくそういうことができてしまうし、実際今までにも何度かやっているし。


いつでもわたしのいちばん中心にある、わたしのなかの天秤にかけていちばん重いものは、推しと呼称するべき人たちただそれだけなんだな。もちろんそれ以外だって大事なことも大事なものも大事なひともたくさんあるけれど、結局天秤にかけたとき、重い方を優先するために軽い方が障害になってしまうと判断したら、わたしは軽い方を切り捨てることができてしまう。

なんと言えばいいか、わたしは自分の人生よりも推しの人生が大事な気がしてしまうし、自分の思想よりも推しの思想が正しいと思ってしまうし、そんなことだからもちろん、推し以外の他人、自分以外の人間は取るに足らない、なんて言い方だと誤解を招くだろうけど。推し本人の口から聞いたことばが全て正しく、ウソでもごまかしでも信じていたく、わたしの内側で絡まったなにかを解いてくれるのは推ししかいないと信じてやまない。


なにかに縋っていないと生きられないんかな。縋るものがないならないで生きてはいけると思うけど。推しだなんだって言って誰かに責任を預けていたいのかもしれない。だってきっと人間ひとりぶんのアレソレなんてわたしには重いな。

めずらしく推しなんてことばを多用しますが、適切なことばが見つからないので、まあ

極論不謹慎なことを言うと親の葬式の日に推しの大事な現場が被ったらわたしは現場に行くんじゃないのとすら思う。少なくとも相当迷う。そんなことはないと願いたいケド。そういうところの人間らしくなさ。


わたしはストレスを感じることがなによりイヤで、現実逃避がなにより得意で、ストレスを遮る能力ばかり身につけてきてしまった。悲しくなるのがイヤ、怒るのがイヤ、つかれるのがイヤ。マイナスな感情はわたしにとって多大なストレスである。

誰かの訃報を聞いて泣いた5分後にもう笑えてしまうような、実際は倫理的にまずいかなと思って悲しい気持ちに浸ろうと努力するけど、そんな努力をしている時点でなんだかな。でもそうしなければわたしの意思に関係なく脳みそくんが思考をストレス源から遠ざけようとしてくる。なんとか悲しんでいるフリをしたいのは、実際どうあれ冷たいと思われたいワケではないから。

ただ、ストレスになるなにかやだれかを消そうとか変えようとか行動を起こしてやろうとかそんなことは思わない。めんどうなことはニガテだし、なによりそれすらストレスになるんだろうなと思うとできるわけがない。

いちおういろいろ考えるけどさ、考えることだってめんどくさくて、ああもうぜんぶ捨てちゃえ!って思うワケ。癇癪を起こしているようなものかもしれない。そこで踏みとどまれるのがオトナの通常なんだろけど、わたしにはそれができにくい。

 

だってずっといちばん楽な道を選んできたんだもの。ゲームをするときはいちばん簡単なモードをえらぶもの。カレーは甘口しかたべられないもの。

こんな甘ちゃんでは生きていけない世界に放り出される前に死にたいって、落ち込んでなくても鬱じゃなくても正気に冷静な頭でおもう。

 

それでもなんとかなおそうって、思ってないわけじゃないの、こんな文章をインターネットに晒すくらいには。人間になる方法なんてどこを探せば書いてあるかな。

まず昼夜逆転をなおすとこから始めるのはどうですか?ハイ。にんげんとはたいへんないきものだ。

 


来世はなんかこう、夏祭りで袋に詰められたわたあめとかがいい。夏祭り行きてー