無題

 

 

いつも考えていること……まあいつも考えているということはつまり結論の出ないことなワケですが、明らかな堂々巡りをしてでも考えること、とか、なんとか。

 


自分に自信がない、わたしの家族は当たり前のことは当たり前にできると…するべきだと、おもっていて、でもわたしにはうまくできなくて、それを糾弾(という言い方は大分キツすぎるケド)されて、落ち込んで、自信をなくす。自信がないということは人間社会を生きていく上でかなり不自由で、いつも不安と臆病につきまとわれてジャマをされて、うまくできなくなってはまた、多少獲得できたものを手放して。

 

わたしはそもそものところおもしろみのない人間で、大抵の物事に興味が薄いゆえに話題に乏しく、かといって愉快な性格でもない、話していてもつまらないんじゃないかと、なるべくそんな思考は忘れようとはしているけれど(更につまらなくなるし、なにより失礼だから)、ふと思い出してことばに詰まることだって少なくない。

 

努力をするのがニガテだ、ニガテという言い回しが生易しすぎるなら、キライかも、できない、できないのはやろうとしないからで、そしてやろうとすることができない、やろうとしないのとできないのなんて同義で、できない、やれない、やりたくない、たぶん、やり方もわからない。自信がほしいなら手に入れればいい、努力の結果は自信だろう、なんでも……成し遂げようとしてみれば、もちろんそれができるならやっているんだし、じゃあ嘆いていることも自業自得ってわかっていて、動けないまま。

 


臆病だから、やさしいとはおもう、やさしくあろうとおもう、なるべく他人の気持ちを汲み取って、いかに傷つけず、不快にさせず、嫌われず、それが大事で、自分がよければいいだろうという言論にはそれなりに賛成するけれど、そこでわたしが良しとするのはなにより(ではなくても、かなり大事なところで)自分の周りの人間の機嫌がいいことだとおもう、そのために自分が多少損をしても構わないとおもう、それで自分が被る損よりも、他人の不機嫌を浴びるストレスのほうがずっと大きいというだけで……それを良く言うならやさしさと呼べるかもという程度でしかない、ケド。

 


結局、自信がないということは他人のことも信じられないということで、それがかなりくるしい、疑心暗鬼というか、褒められたことをお世辞じゃないかとか、そんなこと思いたくないのにどこかで考えるのをやめられない、でもそれだって保険みたいなものだ、本当にそうだったとき、少しでも傷の治りを良くするための。

 

与えられる愛を信用できないなら死んだほうがいいとすら、だってそんなの……あんまりだ、不誠実だ、バカみたいで、みっともなくて泣けてくる。そうして見捨てられたってしかたないのをわかっていて、むしろいっそそうであるほうが楽じゃないかとおもっていて、でもさみしがるのをやめられない、飢えているのは自分が口に入れては吐き出しているだけなのに、満たされないのを不思議がってまた求める、滑稽かな、哀れ、かも。

 

自分がバグっていないか心配だ、変におかしくなっていないか、だれかに好きだと言われたときのままいられているか、不変などないのはわかっていて、でもわるい向きに変わったとき最近おかしいよと言ってくれる人なんて、きっといるほうが珍しい、だから他人の目が異様なくらいに気になる、気づきたい、むずかしい、黙って離れてゆかないでほしい、さみしい、保とうとして崩れる、どうにか…つなぎとめたい、いつだって不安なのはわたしのほうだ、覚えていてほしいことは、まちがいなくわたしと相対するすべてのあなたに、きらわれたくないとおもっていること。

 


なるべく考えないように生きるしかない、しかたないといえばしかたない部分で、そんなこともわかっているつもりで、つもり、まあ、わかろうとしているってだけ褒めてほしよ。いつもことばにして、あとから自分をそれに合わせているだけ、でも、それでもいい、成ろうとしている、理想を口にするのはぼやけた視界の焦点をあわせることと、戒めと。

 

 


ロクに推敲もしない書き散らし、スゴく元気です、ご心配なく。