あちー

中途半端な文章量ブログにするかなやむなー、でもツイッターにつぶやくにはあんまりにながいし、てね〜よくおもう。

 

 

 


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自分と同化されるのをヨシとできるのわ、だいぶん強くないといけないんじゃないかな?とおもうね、アイデンティティというものとかなんとか、他人と同じばかりでも生きてゆける人類ってすごくつよいなとおもう、つまり自分を見失わず持っているからこそ他人と同じ場所がたくさんあってもいいワケだ、わたしは他人と同じであることに耐えられないタイプで、それは自己がよわいからに他ならない、すぐにかすんで見失う自己を保つために他人とちがうことをしたがるタイプね、まあこれもけっこーこまる。

わたしもマネされるのが好きかと言われたら、べつに、どっちかというとイヤ?上記のとおり。でも、マネされるという行為自体はともかくとして、それに至るまでの感情を想像するに否定できるわけない、少なくとも良い感情にちがいないワケ、そんなの……愛しくてしかたない、かもね。

そもそものところ、他人をマネせずに生きてきているニンゲンなんておらないデショ、みんなだれかをマネして、たくさんたくさんマネして、大勢の要素でわたしたちは人格や姿かたちを形成している、自分でもともと持ち合わせているオリジナルの要素っていったいどれだけある?
だからわたしは……ぜったいにそういうことをされるのをわるく言わないと決めています、それはイヤとかイヤじゃないとかじゃなく、決めているコトね。


まあわたしはわたし以外にはなれない、あなたもあなた以外にはなれない、二重の意味で。

ウーンそんなハナシでわなかったかも、べつになにもわるいことはない、マネされるのも、マネしちゃうのも、イヤだなとおもうことも、ぜんぶわるくないし、ぜんぶそれをそれとして受け入れるのだっておかしくない。わたし個人としてはだれもかれも好きにしてくれたらいいとおもう、イヤだとおもったら他人にそれを向けるまでもなくもっといいものを見つけてわたしが変わればいい、マネされる側ということは一歩先をすすめるということだし。

他人はいつも勝手に生きているナアと最近おもうね、なんていうか、影響を与えられるのも勝手だし、変わるのも勝手だし、だから他人は勝手にやってるから自分は自分を生きるしかないんだ、ね〜てカンジ、そんなカンジ、ななめよみの雑返事だったかもねごめんねっ、あつくてなんもかんがえられないよう。夏やだなー