寝すぎ
2日間マジガチ永久に寝てすごしてウケた(ウケない)(なんもしてな〜い)。そういうこともあるよね(そういうことしかな〜い)。
まずなによりなにより奨学金なんてものは所詮まあまあデカめの借金なので(受けようとしていたものが給付型ならこの話は読み飛ばしてくださいですが)、借りないなら借りないで借りないに越したことはないのはひとつです、たしかにわたしも奨学金のおかげで生活は随分楽でしたけれど、なくなったあともなんとかやってゆかれていたのでね、その点はほんとうに、親御さんのおことばに甘えることはなにも問題ではない、ヨ、できるうちに甘えられるだけ甘えればいいし親の脛をかじれるだけかじっておくものです学生なんてものは。
わたしにそういう経験があるかというハナシなのだけど、ウーン……たぶんない、かな、ないとおもう、幸運なことにとても健康で、成績もまあそれなりだったし、自分のコンプレックスでなにか失ったようなきもちになったことは、たぶんない、申し訳なく思うことも申し訳ないけれど常々恵まれた環境に置かれてきた人間です、わたしは。
“みんなと同じ”であること、が、大切なことだとはわたしにはどうにも思えなくて、ほんとうにほんとうにいろんな人間がいる、例えばわたしは大学を辞めたことを後ろめたくなんて思わないし、留年していても平気そうなアイツ、大学を辞めて子育てをしているあの子、給料日の翌日には1文無しになっているあの人。
“同じ”に安心するのはよくわかることなのだけど、でもべつに、べつにさ、べつにね、いいんだよ、自分のペースで自分でがんばれていると思えるならそれはじゅうぶんなことです、ゆっくりでも前に進もうとしていることはとても立派なことで、とてもステキなことです、それができないひとだってたくさんいること、そう、世の中にはほんとうにいろんな人間がいますのでね。
そもそも奨学金にしたってそれは受けられることが当たり前かというと別にそんなことはなく、受けられることがプラスにはなっても受けられないことがマイナスになったりはしない、と、おもいますヨ。体調が良いことがプラスになって体調が悪いことがマイナスになったりするのだって……そんなのは、根本的に世界が全くまちがっているというだけです。
ただ奨学金の選考をする人だってそれはまあおしごとですから、だれがわるいとかなにがわるいとかなくても落とす人間を落とす理由を無理やりにでも見つけなければいけないワケで、それが今回たまたまあなたの体調のことだったかもしれないけれど、だからそれが悪かったのかというハナシは……それはまた、わからないことです、ラジオに送ったメールが選ばれなかっただけのようなことかもしれないし、引いてみたクジでほしいものが当たらなかっただけのようなことかもしれないし、そんなに悲観的になることはきっとない、悪い想像力をはたらかせることはない、だいじょうぶです、あなたががんばっていることは良い方向に向かいますいつだって、今ではなかったかもしれないけど、あきらめることなんてない、それだけのこと、だよ、きっとね。
それでなにかが欠けてしまうとか、失われてしまうとか、ないからね、だいじょうぶです。
わたしもいろいろ余裕なくておへんじおそくなってごめんなのね、だいじょうぶですヨ、なにもわるいことなんてないよ、自分のこと否定してあげないでいいよ、わるく捉えてかなしくなることなんて、もちろんあってもいいんだけどねそういうことだって、でもねだいじょうぶです、自分のペースで生きてゆければそれだけで120%、あとはたまに付加価値もついてくるかも、そのくらい。
大抵世界の進んでゆくペースは早すぎるけどわたしたちだって立ち止まっているワケじゃないものね、急ぐのがいいことばかりじゃないってみんな気づいているハズなんだよ、ゆっくり気楽に生きればよいです、苦しまなくていいよかなしまなくていいよ、ネ〜。
あ〜結局ホットケーキ焼きそびれたなん