202202

2月て短いからまだぜんぜん2月だよねっ、あいかわらずドタバタしてゆ。ぶろぐにがつぶん

 

 

サンドイッチにきゅうりはいらないし、ハンバーガーにレタスはいらない、カレーとシチューは具がないほうがいいし、ライブのMCは最小限がいいな、眠るときに音楽はかけない、広告を見たくなくてお金ばっか払ってる、たぶんノイズがニガテだとおもう、シンプルなものを好むニンゲンぽい。

まあつまり言いたいことは、ポテトサラダに玉ねぎを入れてほしくないってこと。


料理やお菓子をうまく作れたことがない、いつもちょっとだけ失敗して、ホットケーキとたまごやきを焼くのだけ異様にうまい。なんかあれもこれもズレてる気がする、ピッタリうまくハマらない、これはセンスというものか、ただ他人がよく見えるというそれだけか、満足いくに足りない経験?

ズレてるとおもうのは常、いつになってもなじまないこの世。


ズレない感覚でピッタリ様々弁えるというのは大層むずかしいことで、それをできるひとを見ると、ニンゲンがうまくてうらやましくてしかたない。かしこく察しの良い弁え、を、わかっていてできないのがどうしようもなくて、黙っているのが可もなく不可もなく、ただ声を出したくなるのだってニンゲンで、ガマンってするべきなのか否か、ほどよいところの見極めをしているつもりでできないついついすべる口元。

だけど例えばオタクをするなら声を発しろとわりとみんな言うワケで、そう言うからにはそこそこ…おおめに見…じゃないけど、ウーン、そう、そういうところうまくできないひとを切り捨てるのは冷たくも見えちゃうよーな、半年ROMったところでわからないヒトだっている、なんか、ズレちゃうの、わかってるんだけど、わかってるのにわからなくて、いつだってみんながなににおこっているのかもわからないし、ああまた話脱線してるな、こういうトコロなんだけどさ。

一度の失敗もゆるされないインターネットというのは、生きづらく、息苦しくて、おかしいな、こんなハズじゃなかったって、インターネットなんかやめちゃえばシアワセなのに結局わたしのシアワセはインターネットばっかな自己矛盾。

 


いつも何言ってるかわからないくらいがちょうどいい、脳みそ溶けた原液そのままみたいな、他人に伝える気なんかない人生。

伝える気がないのは上々にして、そうしてちゃんと言いたいときにまで言えなくなる、自分のなかみを悟られないように生きたいばかりに、時に敵対する想像力。

だから結局、こわがっているだけなのか、必要とされたいのか、想像力に胃を痛められては、いつだって胃の中身ごと吐き出しそうに投げかけてみれば拍子抜けするような、心配性と言うにも気の小さすぎるどうしようもない自信のなさというか。

自分のことがあんまりに好きで、せかいでイチバン大事だから傷つけられたくなくて、それでとりつくろうのってなんだかバカげている気もする、好きだけど自信はないのね、フシギだけど、そーなの。

はー、大事なことは吐きそうで、いらんことばっか言うくせに

 

 


ダラダラ断片的に書いてたよせあつめ、まとまらなかったし存外みじかくなってハテナだゆ。のうみそどろり