202211
ポケモンおもしろすぎてクリアするのもったいなくてありえないくらいゆっくりやっています。
ひさびさにマシュマロご返信私信ブログ。
正直大学リタイア人間として、またはそこそこオトナになってきてしまった人間として、このお悩みへの正答は、つまらなくも周りのオトナと同じく、大学は卒業したほうがいいよ、です。
こんなものは大方いつだって過ぎてから気づくものなんだけれど、だからまたあなたも過ぎてから気づくかもしれないんだけれど、オトナの言うことは正しいと言わずともそこそこ的を射ていがちで、的を射られているからこそ天邪鬼したくなるものでも、あるけどね。
これはいつかどこかに書き留めておきたかったことですが、数年前大学をやめた当時は、ほんとうに自暴自棄というか世界がどうでもよくてとにもかくにもめちゃくちゃで、病院に行く気力もお金もなくて放っておいたものの、行けばそれはそれなりに病名をつけられていたそれだと、今になって思うよ。
ウッカリ大学に行かなくなって、バイトは当たり前に飛んだし、平気で当欠しまくっていたし、夕方に起きて夜しか働けなかったし、ずっと死ぬ方法を探して意味もなく涙は出て涙を止めたくて飲んだ何十の錠剤も数分後には下水に流れていて、命を繋いでくれるのはライブしかなかったし。
そういう状態から立ち直るのにはもちろん一朝一夕とはいかなくて、ハッキリとした診断を受けなかったから思い込みでなんとかしたフシもありつつ、それでも3年弱とか、最近やっと、このあたりが元のかたちだった気がしてきているところです。
まあ思い込みでなんとかなっているあたり、わたしの場合なんでもなくただの怠惰と終わり人間だっただけかもしれませんが、そんなのはもはやだれにもわからないことです。
これから生きてゆく環境で、大卒という肩書きが大して有利にならない場合はもしかしたらあっても、不利になることはまずありません。そして病名として診断を受けているからこそ、その肩書きが強めの盾であったり、強めのバフとなってくれる可能性は、かなりあるんじゃないかとわたしはおもいます。
そして、わたしたちにとっては意味なんかなく思えても、世間は資格や経歴でニンゲンを見ていがちです。だから、なんなんでしょうと問われるそれは、わたしからすれば単なる肩書きで、履歴書を埋める文字で、自己紹介を引き伸ばす一言で、でも、そんなじゃあやっぱりくだらないじゃんと思えるものが、のどから手が出るほどほしくなるときが、わたしにはありました。もちろん今更ほしがっても、わたしの履歴書に載るはずだった1行はほとんど永劫失われたワケです。
つまるところ正社員としての就職にはずいぶん苦労したし、いろんな借金でなんとか生活もなりたっていつつ、毎月ギリギリの薄給にはちがいなく、自分が雑で能天気なことだけが救いです。
わたしは本能的にお金の管理ができないみたいだからなんともですが、今やめても卒業まで通っても、倍になるかならないかってだけで返さなきゃいけないお金が残ることにはちがいないんだから、少しでも可能性あるほうに賭けるほうが勝ち目の見えるギャンブルかなとおもいますけど、どーなんでしょう、お金の計算ってできなくてものすごく困っているんだよね。
だから…たぶん、今やめてつける職業は卒業してもつけるけど、大卒という肩書きをもってワンチャン体調もいい方向にむかって少しくらい良いお給料をもらえる職につける可能性っていうのは、今やめてしまったら失われてしまうし、という…ハナシ。
イヤ、ゴメンけどお金のことだけはわたしに聞かないほうがいいかもしれません。ほんとうにどうしてもできないんだよね、ほんとうに。
ちなみに、わたしはべつに大学をやめたことに対してそれほど深い後悔はないけれど(少し…というか、ふつうには、ある)、大学やめてよかった〜〜とおもったことは、一度もありません。とはいえ最悪の選択をしたともおもっていません。これはわたしの人生であって、わたしが選んだことで、わたしがこの選択を最悪にしなければいいだけのハナシだからね。
ただ、わたしはあのときひとつの選択肢以外なにも見えなかったし、だれになにを言われてもそうしていたし、でも、だからこそ、同じ状況で他人の意見を聞いてみようとしているひとがいるのであれば、やめないほうがいいんじゃない?って、言うよ。
迷うくらいなら、少しでも気持ちがそちらにもあるなら、しんどくてもがんばってみる価値はじゅうぶんあるとおもいます。
ここまで言ったところで、結局わたしはあなたの言うところの一般的なルートからは外れているワケですが、それでもこうして生きていくことは、大してむずかしいことではありません。毎日そこそこ楽しいし、元気だよ。
目に見えているなんて言っても自分のことですら明日のことなんてわかるハズないんだね、わたしも絶対戻らないと思っていた地元で2年過ごしてほんとうによかったとおもっているし、わたしの事情はわたしの事情であなたの事情はあなたの事情だから、せいぜいわたしはわたしのことを話すくらいしかできないけど、経歴がどうであれ、なんとかなってはいます。
大学をやめたところで、自分に後ろめたいような気持ちがあっても他人は案外気にも留めなくて、てかそんな人は世の中に溢れかえっていて、みんなそれぞれなんとか生きていて、いわゆる一般的だとか普通だとかって生き方なんて、もはや少数派かもね。
今さら普通じゃないなんてなんにもこわくないし、大したことじゃあないんだよ。
ついついつまんないオトナみたいなお説教みたいなこと言ってみて、ひとつわかってほしいのは、わたしがどうにかなっているのはぜんぶわたしの運が良かっただけかもしれないから、わたしのどこかしらが優れていただけかもしれないから、わたしの置かれた環境が恵まれていただけかもしれないから、だから、簡単にどうにかなるよやめちゃえ!なんて、言えないんだょね、らだも、もうずいぶんとオトナだからさ。
冬だからあんまり考え込んでいいこともないとおもいますが、わたしもハッキリ自分で決めたからそんなに後悔していないというか、少なくともだれかのせいにはしないことにしています、だから、自分で考えて自分で決めるのがいちばん良い。
人生のひとつひとつに意味なんかあってもなくてもいいよ、理由や意味なんか後付け以外で考えたことないな、楽に生きていいとおもいます、あとフツーに親のスネってかじれるうちにかじれるだけかじっといたほうがいい(カス!)。
やりたいことを追いかける人生もあれば、だれかへの愛だけで生きられる人生もある、わたしは好きなものばっか視界にある人生でそれ以外はどうだっていいし。
お得意の長話、考えごとしないためのヒマつぶしにくらいはなったかな?
こういうときわね、他人と話すのって大事っぽいから、らだもいろんなで意外と時間とかなくてなんだけど、いつでもドーゾ